森山先生、竹の子ようちえんの20年を語る(1)

2012年9月発行のようちえん通信『小人たちから』に掲載された
森山先生のインタビュー記事を
改めてこのブログにも載せてみようと思います。
これは、竹の子ようちえん20周年にあたる2012年に、
森山先生にこれまでのことを振り返って頂いたインタビューです。
ようちえんのことがとても良く分かる記事ですので、分量が多いですが、
ぜひ、お時間のあるときに読んでみてください。

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− 先日(7月17日)、竹の子ようちえん20周年を祝う会が行われました。
改めて今どのような感想をお持ちですか? −



20周年記念パーティを迎える前と後とでは、全く違った感想を持っています。

パーティの前はこの20年間をどこか過ぎ去った事として捉えていたけれども、
パーティに出てからは受けとめ方が変わりました。

私自身はもちろん20年間丸々、竹の子ようちえんと共に歩んできているのだけれど、
1年間だけしか関わらなかった人も、5年間関わった人も、直接的には関わらなかった人も、
竹の子ようちえんを同じように経験し、同じ気持ちを共有しているのを感じた。
「あ、あなたもそう思っていたの。あら、あなたも」という風に、
パーティに来た人それぞれが久しぶりに会う面々で、
しかも通っていた時期はバラバラなのに、
顔を見ればついきのうまで一緒に仕事をしていた仲間だという親密感があった。

それくらい、20年という時が過ぎ去った過去ではなく、
何か大きならせん状の輪となってぐるぐる巡り、今も生き続けて
いる時間なのだと感じられた。
それは、2歳から4年生の小学生クラス卒業までの長い期間を、
教師と親が密接に関わりながら共に生きていく過程の中で、ある意味家族のような、
同志のような深いつながりが生まれるという、竹の子特有の教育のあり方によるのかな、とも思います。

面白かったのは、パーティが、フラメンコあり歌ありのとても音楽的な会だったので、
私もと思って、急きょ笛とシンバルを持ってきて「これからはじまるお話は〜♪…」と歌いだしたのね。
そのとたん、ざわついていた子供達とお母さん達がシンと静まりかえってしまってね。
まるで当時の生徒達に戻ったようにその場に正座してお話を待っているの。
それを見て、私の歌声、笛の音色、シンバルの余韻、
それら全てがみんなの中に共通の体験として、体の中に織り込まれて生きているんだな、
「竹の子」という経験が目に見える形としてあるとしたらこれなのだな、と思った。
あの日は思いがけないことが色々わかって、とても不思議ですばらしい一日でしたね。


− この20年間、竹の子ようちえんが目指してきたのはどのような幼稚園ですか? −

竹の子ようちえんをどういう幼稚園にしていきたいかについてのビジョンを
「シュタイナー教育入門」という本に書いたことがあります。

「子供と一緒に卒園していったはずの親たちがもう一度竹の子ようちえんに帰ってきている。
かつて母親として関わった人々が、今度は教師をサポートする側に回って共に働くようになってきた。
それは母親たちにとってこの幼稚園が“私の現場”となったからだと私は見ている。
それはあたかも教育を基軸とした一つのコ
ミュニティ、地域社会ができつつあるかのようだ。
それを私は“教育共同体”と呼ぶ。」


この“教育共同体”という発想は、竹の子ようちえんの教育のあり方の本質を表していると思います。

第1期生のお母さんに
「先生、どこにも行かせたい幼稚園が見つからないの。
私が自分の子供を託せるような幼稚園を作ってください」
と言われた頃、世間一般の幼稚園はもはや幼児教育を行う場ではなく、
子供をただ預けるためだけの場所になっていた。
自分の時間を持ちたい、自分のやりたい事をしたいお母さんが多くなった時勢に合わせて、
幼稚園のプログラムはお母さん達が楽になるように、
幼稚園が子供を管理しやすいようにという点だけに重点がおかれ、
そこにはすでに“教育”というものはなくなっていたのね。
その傾向は近年ますます強くなってきているのだけれど。

本来、子供を愛し育むために幼稚園や幼児教育はあるべきなのに、
親の利便性のため、そして幼稚園の利潤追求のために、
子供の“生”がないがしろにされているという現実が私にはいたたまれなかった。

教育というのは、子供を愛する気持ちがないところには生じていかないのよね。
昔は地域という社会が生きていた。親と子供達と近所の人たちがしっかりと結びついて
有機的な生活共同体ができていたから、それだけで幼稚園は必要ない位だった。
けれども、高度経済成長とともに地域社会が崩壊し、母と子が孤立していった。
母親の中で「子供がかわいい」という気持ちより、
「子育てはしんどい」という気持ちの方が強まっていったのは自然の流れだったと思う。
一方で、幼稚園は母親の子育てを助ける「教育機関」としての役割を逸脱して、
園バスだの延長保育だの幼稚園でのお稽古ごとだのと、
母親の楽を売り物にする「サービス業」に変質していったのね。
また多くの親がそれを望んだ。子供だけが取り残された。

そんな社会において、もう一度、
親と教師と子供の力とが育ちあう場が必要だと思った。
子どもの教育を担う者として、親と教師が対等な立場で相互扶助の関係を築き、
お互いに力を出し合って子供を育てていける、
そういう場に竹の子ようちえんをしていこうと思った。
“教育共同体”として親と教師が連携して子供を見守っていくことのできる関係、
それを常に目指してきたのよね。

その意味では、竹の子ようちえんは第一期生の吉山さんの
「シュタイナー幼稚園でなくていい。自分と子供が満足して通える幼
稚園を作ってほしい」という願いと、
「地域社会が崩壊している現代において、地域社会の代わりとして
母親と子供を包み込めるような共同体としての幼稚園を作ろう」
という私の想いとを実現させた場だと思っています。

「先生はどうしてうちの子の事にそこまで首をつっこんでくるんですか?
自分の子供でもないのに。」と、あるお母さんに言われた事があった。
私は「○○ちゃんはお母さんだけの子供じゃないのよ。私の子供でもあるんだからね。」
と言い返しました。よくそこまで言えたなと我ながら思うけれども、
でもこれこそが竹の子の精神、竹の子の教育の本質なのよね。

後からそのお母さんは
「竹の子ようちえんという所はここまで自分の子供を愛してくれるのか。
それならば私も安心して子供を委ねられると思った」
と話してくれました。私はどの子に対しても常にそういう気持ちでやっている。
だから余計なことまで言ってしまうということもあるんだけどね。
そこが他の幼稚園にはないところかもしれない。

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森山先生、竹の子ようちえんの20年を語る(2)」へ続く